上原謙製作のミーカガン

明治17年(1884)に、自身も糸満海人だった糸満のエジソンこと玉城保太郎(1854〜1933年)が開発した。ミーカガンは改良が重ねられながら現在に至るまで使われてきたが、その形状は120年以上前の当時から現在の競泳用ゴーグルに酷似していた。
泳ぎながら魚を脅して網へ追い込む「アギャー」、「パンタタカー」と呼ばれる追込み漁や、素潜りでの貝の採取が盛んになったのは、ミーカガンの発明があったからと言っても過言ではない。それまでは何も着けずに潜水していた海人は、海水に含まれる塩分等の影響で目がただれ、視力が低下する者が少なくなかった。
これらの技術や泳法、漁法は糸満から日本や世界の各地に広まったと言え、糸満は漁業の最先端の地であった。
ミーカガンの制作にはモンパノキ(方言名:ハマスーキ)が用いられたが、モンパノキは芯に小さな穴があって柔らかく加工しやすい上に、乾燥しににくくて反り返らないと言う特徴があり、材料として最上とされた。
明治当時のミーカガンは離島ではとても効果な物で、粟5俵と交換されたとか、牛1頭では交換出来なかったとも伝えられている。
糸満 海人工房・資料館で制作しているミーカガンは、主宰の上原謙が少年時代に、最後のミーカガン作り名人と言われた金城勇吉(1882〜1992年)の手伝いをしながら作り方を教わり、金城氏の没後にはその子孫から譲り受けた道具を用いて、当時の制作方法に基づいて忠実に再現している物である。


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